美しい最終形

だけを見ると、それが最初から設計され
何の迷いもなく、順調に形づくられたかのように錯覚してしまう


しかし、そんなことがあろうはずもない
こちら側からは見えないが、美しい最終形の影には幾多の失敗作の山がある
思考してはアウトプットして、創っては壊し・・・
そういう作業を積み重ね積み重ね、その先に美しい最終形がある


ただ、美しく見える最終形もあくまで現時点でのものに過ぎない
思考とアウトプットを繰り返すこの運動体に終りはない


自分もそういう運動体になりたいと願うなら、今何をすべきだろうか?